■東海地方の真理の殿堂
○東海教化部会館、現在地に完成
愛知県内は勿論、東海地方信徒の久しき願望であった「東海教化部会館」は、谷口雅春先生の深き御愛念と東海地方信徒の絶大なる協力により、昭和24年10月に完成した。建設地は、名古屋の中心地である、栄、大須、鶴舞からも近い上前津の現在地(中区西川端町4-4、その後町名変更により、中区大須4丁目15-53となる)である。
その後、昭和30年代に入り、光明化運動の進展と共に増築気運が高まり、昭和32年11月、又、昭和34年8月に各々増改築が行われた。
昭和47年、「東海教化部」から「愛知県教化部」に名称変更された。
■谷口清超先生初めてご来名
○東海教化部でご講演
昭和26年11月18日、生長の家教主(当時)谷口清超先生が初めて来名され、東海教化部においてご講演会が催された。教主谷口清超先生の初顔を拝せんと続々つめかけた信徒により、2階道場は演台の上まで、そして階段や階下まで立錐の余地がなかった。
■教化支部長制発足
○初代支部長に大森知義氏
昭和29年1月1日より、光明化運動の更なる充実をめざし、教化支部長制が確立した。初代東海教化支部長に、大森知義氏が就任。本県に馴染み深い小路金藏氏、片山四八氏は各々京都、兵庫に転じられた。
■聖使命会の発足など新体制の出発
”人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた”
昭和29年8月、この年の3月に完成した生長の家本部会館において開催された第2回全国代表者会議において、「光明化運動の飛躍的展開を意図する活動組織の新体制」が打ち出された。その基本精神は、
① 4月から発足した聖使命会の普及、徹底、充実など教団の自主体制の確立
② 組織的普及活動の展開
③ 使命感の昻場等である。
又、その年の10月1日「聖使命」紙で、谷口雅春先生は、「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた!」と一大宣言された。そして、聖使命会員に「聖使命菩薩」の称号が与えられた。
このような一連の方針が打ち出されると、愛知県においても新しい運動展開に意欲が集中し、組織体制を整えつつ活発な伝道が開始された。
■「伊勢湾台風」救援活動
○相・白・青、一丸となって活躍
昭和34年9月26日、突如襲来した伊勢湾台風は、死者数千人を始め東海地域に空前の被害をもたらした。
生長の家では、直ちに救援対策本部を東海教化部に設け、小山内教化支部長陣頭指揮のもと、被害地救援のために立ち上がった。「救援行動隊」には、飛田給及び宇治練成道場の職員や、東京の青年会員(主に大学生)も続々参加した。行動隊は医療班とともに、全国から集められた救援物資をもって浸水地区(主に名古屋市南部、海部郡方面)を回った。
又、「復興工作隊」は、特に被害が大きく、公的機関も入り難い南区鳴浜地区を中心に、公道開通などに尽力した。
救援活動は、11月19日まで続けられたが、そのめざましい活躍に対し、愛知県知事及び名古屋市長より感謝状が贈られた。
台風の被害は、伊勢皇太神宮にも及んだため、「伊勢皇太神宮災害復興奉仕練成会」が開かれ、全国から多数の奉仕者が参加した。
■東海見真練成会はじまるー昭和34年
昭和34年5月、三河道場に見真講座を開設。昭和35年6月から、愛知、岐阜、三重が協力して本格的に開催することになり、名称も「東海見真練成会」と改称された。
以来、毎月、歴代教化部長や小嶋博氏を中心に練成が行われ、多くの奇跡的体験が続出している。
なお、現在は(昭和61年)「大愛知練成会」(※1)と名称を変更し、ますます充実した内容により開催されている。
生長の家愛知県教化部会館 落慶祈念 P19~P21より抜粋
※1、現在は教化部会館で「大愛知練成会」三河道場、豊橋道場で「練成会」を開催しています。