【今月の教化部長の言葉】令和6年7月

谷口雅春大聖師三十九年祭について思う

教化部長 大塚 和富 

 私が、人間の「 生命は永遠に死なない 」ことを知ったのは、病気が縁で生長の家の信仰によるものです。

 『 生命の實相 』頭注版第1巻を読み始めたとき、総説篇〝 七つの光明宣言 〟で次の二つめの光明宣言の言葉に触れました。

 「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。」

 

 私は戦後生まれであり、生命の本質など学校教育では教わらないため、人間は肉体が自分であって肉体の死後は何もなくなり、一回きりの人生と思っていました。 ところが聖経『 甘露の法雨 』を何回も読誦するうちに、〝 人間 〟の項にある次の言葉で死なないことが理会できました。

 「(前略)されど汝ら、ついに生命は肉体の繭を必要とせざる時到らん。 かくの如きとき、生命は肉体の繭を食い破って一層自在の境地に天翔らん。 これをもって人間の死となすなかれ。 人間の本体は生命なるが故に常に死することあらざるなり。 」

 

 また、聖経『 天使の言葉 』を繰り返し読誦するうちに、次の言葉で霊界に移行した御霊さまに、真理の供養することの意義も理会できました。

 「(前略)若し、汝の『 念 』肉体を去れば、生ける肉体死体と変じ、死体はその状態を維持する『 念 』の力の去ると共に、分解して宇宙の要素に復帰せん。 肉体を去りたる『 念 』は、その念の力にてなお一つの個性を持続し、幽界に於いて生活をつづけん。

 汝らの霊魂と称するもの是にして、『 念 』の浄まるに従ってそれに相応わしき高き霊界に入り、『 念 』の浄まらざるものは、それに相応しき環境を『 念 』の力にて仮作し、その環境にいて苦しまん。(後略)」

 霊界に於いて生活をつづけている親族縁族の霊魂に、現実界から真理の言葉が書かれた聖経を読誦することは、より一層『 念 』を浄め、悟りを深めて自由自在の境涯を歩むことになり、現実界の私たち子孫を導いてくれることになります。 できるならば日々、仏壇や神棚などで位牌などの御霊の俗名を招霊し、聖経や讃歌を読誦することが望ましいです。 しかし、仏壇や神棚を設置していない家庭が多くなっている今日、生長の家宇治別格本山で作製されている「 霊牌 」に、〇〇家先祖、個別霊は俗名を、流産児(流産児がいる場合)は名前をつけて記載し、清浄な場所に安置して聖経・讃歌で供養しようではありませんか。

 

 

 

 愛知県教化部や三河道場、豊橋道場、一宮道場では毎月先祖供養・流産児供養祭を実施しており、皆さまから提出された霊牌を招霊し、聖経・讃歌を読誦した後、宇治別格本山に送付します。 宇治別格本山では同じく招霊して聖経供養が行われ、宝蔵神社の「 霊殿 」に安置されて、毎日聖経供養が行われています。